About 空【ku:】



空【ku:】活動コンセプト
人と心で創る芝居の復興

ひとつひとつの公演に対して、その時に持てる限りの力と情熱を最大限に発揮し、大量消費の芝居が多い中、
「空【ku:】ならでは!!」
と呼ばれるような、高いクオリティの芝居を創り上げ、観客自身にエネルギーを与えることをコンセプトとして演劇活動を行っています。
空【ku:】とは?
空【ku:】の結成について語る為には多くの事を話す事になる。遡ること12年前の1994年。

1994年、神童が千葉県立君津高校に入学。当時、神童は既に陸上部かバスケット部に入部するつもりでいた。 しかし、強引とも思えるやり方で演劇部に入部させられる。
最終的な決め手となったのは演劇部顧問の

君が入れば、関東大会に行く事が出来る。

であった。
勿論、神童をはじめ、誰もその言葉を信じなかったし、顧問も「そんな事言ったけ?」と言っている。つまりは適当に言われた言葉だった。
何はともあれ演劇部に入部する。その時には既に後の団長の志保沢をはじめ、副部長に唯内、部員に倉本、NAO、兎丸が先輩として入部していた。

高校演劇には大きく二つの大会がある。春の大会と秋の大会だ。
春の大会は、県内をブロック分けし、その中での発表会となる。
秋の大会はというと、ブロック分けした中で、審査員によって優秀賞を決められ、その優秀賞に選ばれた各学校が集まり、県大会が開催され、更に同じようなシステムで地方(千葉県などは関東)大会、全国大会へと出場していく事になる。
神童は、とりあえずというか、ほぼ春の大会が終わったら退部するつもりでいた。それ程、演劇に興味は無かったし、神童の中学校の時の生活と演劇部の生活、仲間に大きなギャップを感じていたからだ。早く辞めて、勉強でもして大学へ行こう。それが正直なトコだった。
しかし、春の大会のリハーサルで一変する。初めてのリハーサルの緊張した雰囲気、そして何よりスモークの臭いに魅入られたのだ。

「もうちょっと続けるのも良いな。」

そして運命の秋の大会。君津高校は2年振りに県大会出場の栄誉に輝く。ここまで来たら充分と殆どの部員が思っていた。
というのも当時の千葉県は全国常連ともいえる学校が2校あり、その二つの学校が関東に行くのが(県は上位2校が地方大会に進める)お決まりであったからだ。
しかし何と、結果は君津高校が1位で関東大会に出場出来る事になったのだ。これには誰もが涙を流すのも忘れて驚くだけだった。誰にも信じられなかった。なんと顧問のいい加減な予想があたってしまったのだ。
その時、神童の心は「辞める」等思わず、

「ずっとコレをやっていくしかない。」

に変わっていた。その頃、初めて神童は「いつか、このメンバーで劇団とか作りたいっすね。」と先輩やOBに話すようになった。高校生の他愛も無い絵空事だ。その時に仲の良いOGの名前を取って
「劇団名は『劇団たんぽぽ』ね。」
等と言っていた。(しかし、後に「劇団たんぽぽ」は既に存在する事が判明。しかも大手・・・。)

関東大会でも好成績を収め(残念ながら全国には進めず)た演劇部に信じられない出来事が迫りはじめていた。関東大会での疲れ、それに伴うストレス、そして1年生が大半を占めていた部活は有頂天になっていた。
新1年が入る頃には互いに攻撃しあうように部活内が分裂しはじめ、神童が部長を引き継いだ時には3、4人のグループからなるただの集まりになっていた。しかし部活を修正する暇なく秋の大会に突入してしまう。
その時には「観客に対し、最高のモノを見せる。」「自分達が楽しめば、観客はついてくる。」「部活はプロじゃないから、そんなに一生懸命にやる必要は無い。」等、様々な意見に分かれてしまうという最悪な環境にあった。
地区大会は、それまでの成果のかいも考慮されたのか、なんとか1位通過(前年、地方大会に出場した学校のあるブロックは上位2位まで県大会に進める)、しかし県大会では当然の如く散々な結果となってしまった。
その時、神童は親しいOBに不満を漏らした。その時、いつか話した絵空事を思い出した。そしてまた、ソレを覚えていたOBが口を開いた。

「一度、神童のやりたいようにやってみれば?」

その人は既に空【ku:】を退団した、OBのT先輩(志保沢の前の部長)だ。どんどん話が進んだ。神童が1年時にお世話になった各OB、OGがその話に乗る(唯内、兎丸はブロックの卒業生になる有志メンバーによる『卒業公演』が決定していた為、不参加)。更に、既に大学の為に地元を離れていた志保沢に連絡すると、ずっと神童の面倒をみてくれていて断れないというのもあっただろうが「面白そうだね。」と快諾。埼玉県は熊谷市から通っての参加となり、1995年12月、初めての顔合わせとなった。
その時は取り合えず、「卒業公演」に参加しないOG(NAO、倉本、名誉団長、その他2名)と有志メンバーによる「卒業・お疲れ様公演」であった。
しかし、全てを一からやるのはT先輩以外は初めてだった(T先輩は当時、既に自主公演劇団に参加していた)。神童が演出、そしてT先輩が皆を引っ張るという形で物事は進む。
まずは台本選びの問題に陥った。そこで選ばれたのは高泉敦子さんの「僕の時間の深呼吸」となった。
神童の初めての舞台が同先生の作品であり思い入れが強かったのだ。ともかく台本は決まった。そこで次の問題である。
顧問に許可を取らねばならない。頼めば「良いよ。」と言ってくれるのは分かっていた。しかし、なかなか頼みだせずにいた。そんな神童を見て、ある日、顧問が話し掛けてきた。

「神童、どうかしたのか?」

そこで全ての経緯を話した。すると、やはり快諾してくれた。

「今のお前にはソレが一番良いかもしれないな。頑張れ。」

と。しかし注文が一つついた。
「だが部活のメンバーが参加しないし、OB、OGが多いからと言って、君津高校の名前は使えないぞ?失敗すれば他の部員にも迷惑掛かるかも知れないし、何よりも良い顔するはず無いし。本当に全て一からとなるのは、とても大変な事だぞ。」
当然の事だ。そこで、まず劇団名を決める事となった。当時は一回だけのつもりであったのに、劇団名をつける事になるとは。同じ思いだったのか、志保沢の「劇団ってつけるのは恥ずかしいし、そんな力も無いし、『演劇集団』にしようよ(別に『演劇集団』というのは力の無い劇団がつけるモノでも無いし、『劇団』という名前が恥ずかしい呼び方なワケではない。彼なりの拘りです)。」
という意見で「演劇集団」とつける事になった。
しかし、その後の本題ともいえる部分が決まらない。試行錯誤している間に昼食となる。神童、志保沢、T先輩は昼食の買出しに出掛けた。その間にNAOや倉本達の間で可笑しな遊びをはじめた。
「『本気』と書いて『マジ』と読む。」
等と当て字探しのようなモノだ。そのうちに辿り着いたのが

『空』とかいて『クウ』と読む

だったらしく、その響きが格好良いと、神童達が帰ってくる前に劇団名が決定していた。
ちなみに神童は名前の後に「(仮)」とつけよう、と提案していたが、その言葉は何処にも無かった。
神童は今でも、正式な劇団名は「演劇集団空【ku:】(仮)」
だと思っているが、そんな事は誰も知らない・・・。

そして1996年3月、第一回公演が行われた。正直、多くのトラブルもあったが久しぶりの充実感が神童達の心を支配していた。
だが、空【ku:】公演直後に悲劇は待っていた。先生と深夜に及ぶ話し合い等の結果、演劇部を解散する事になった。だが先生は、その前に優しい言葉を掛けてくれた。
「もし神童がまだ高校で演劇を続けていきたいんなら、俺で良ければ顧問を引き受けるぞ。それに神童のせいで潰れたんじゃなくて、神童だからここまでもったんだからな。誤解するなよ。」
勿論、それが慰めなのは分かっている。でも、その言葉が有りがたかった。そして部活を解散。その時に顧問は部員を前にして、こう言った。
「もし続けたい奴がいたら、来週の10時までに、入部届を持って俺の所に来い。」
・・・正直、神童は迷った。各OB、OGにも相談した。誰もが「神童のせいで潰れたんじゃないし、続ければいいよ。」と言ってくれる。
しかし、続けたいし、やっぱり演劇が好きだと分かっても、部活を潰した負い目がある。
そこで志保沢に相談する。真夜中に電話を掛けたが、嫌な声も出さず(というより、当時彼は地元の後輩は神童しか電話をくれない、と寂しがっていた)ずっと相談を聞いてくれた。その時、今では忘れてしまったが何かを言ってくれた。ソレが切っ掛けとなり部活に復帰する。
しかし、その後の部活は大変なモノであった。神童が入部してから2年間は春には必ず30名以上の部員がいた。しかし、その年は14名(残った部員が8名。新入生6名。本番前に復帰した部員がいて15名)。半数である。他の学校と比べ、ソレでも多いほうなのかも知れないが、これは今までの君津高校の演劇が出来ない事を意味するし、何よりも新入生が何処か雰囲気の違う子達(ちなみに、この時の新入生に松本がいる)であった。
後にソレは半分は誤解と気付くが・・・。
そこで顧問が下した判断は、今までの一生懸命に演劇だけに集中するやり方で無く、少し気を抜きながらやろう、であった。部活が潰れてしまった結果などを考えるとソレは正しいと思うし、仕方の無い事だ。でも、神童はとても居心地が悪かった。神童が部長をやっている時に副部長していて、空【ku:】も何度も手伝ってくれる事になる、一人の女の子も同じ思いだった。初めて互いに電話で話し、どちらからともなく同じ悩みを持っている事を告げた。二人の結論は「辞めよう」だった。
ある日、二人で顧問に悩みを告げる。その日は、他校での「ワークショップ」の日だった。他の生徒達の楽しそうな声が聞こえる中、先生はこう言ってくれた。
「確かにお前達には辛い状況なのは分かっているし、正直に言うと俺も辛い。でも二人の経験が欲しいし、辞めて欲しくない。もし、あの時にお前達が入部届を持ってこなくても入部させるつもりだった。また前の力を戻す為にも一緒にやろう。」
恐らく、彼特有のパフォーマンスかも知れない。しかし神童は元副部長とまた騙される事にした。吹っ切って春の大会を終えて引退。
・・・のつもりが顧問からの要請で秋の大会にも残る事になった。神童にとっても、それは願ったりであった。あの時の恩を返すのはこの時だ、と張り切ったが・・・しかし残念ながら現実は厳しい。結果は2位。それでも、それまでの経過を考えると十分すぎる数字だ。
そうして引退。既に赤点を取りまくっていた神童には大学進学は夢となっていた。しかし、やりたい事を見つけた。「演劇」だ。そこで顧問に相談し、頑張って推薦してくれたお陰で専門学校への進学が校内で一番に決まってしまった。
残りの高校生活をどう過ごすか。ソレも既に決まっていた。「演劇をしよう。」そこで声を掛けたのが、昨年のメンバーであり、ここに正式に「演劇集団空【ku:】」が結成された(といっても、毎回「今回限り」と声が挙がっていて、本当の意味で正式にずっとやっていこうと決まったのは2002年の春です)。
その後、松本や更に下のまろ、また大学で演劇サークルを切り盛りしていた唯内、また初回から多くのお手伝いが参加し、諸事情で退団したメンバーもいて、現在の空【ku:】の体制となったのです。


空【ku:】用語事典
劇団についての紹介を簡単に用語事典でまとめて見ました。

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